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【追悼・河野洋平氏】父・一郎が遺した目黒の大豪邸をハンガリー大使館に貸し出した知られざる逸話《神宮寺 慎之介》 「6月13日に年に一度開催される友好協会の総会が都内で開催される予定なのですが、洋平先生からは出席するとの返事を頂いていただけに今回の訃報には落胆しました。40年ぐらいも友好協会のために尽力して下さって感謝しております」(日本・ハンガリー友好協会理事) 晩年は衆議院議長を長らく務めた河野洋平氏が6月8日死去した。89歳だった。 1937年神奈川県平塚市生まれ。父親は戦後の政界の実力者で建設大臣も務めていた河野一郎氏。次男として誕生した洋平氏は早大卒業後に商社勤務をしていたが、65年に一郎氏の急逝を受けて67年の総選挙に立候補して初当選を果たす。その後連続当選を14回果たしている。 一郎氏の実弟で長らく参院議員を務め、参院議長にもなった河野謙三氏は叔父にあたるが、華麗なる一族の後押しもあってその後は選挙で負けることもなかった。 ちなみに謙三氏は早大に進んで陸上部の長距離ランナーとして箱根駅伝でも大活躍し、2度の優勝を果たした後もスポーツ界に尽力していたのも知られたことである。 洋平氏は初当選直後から「自民党のプリンス」と目されていたが、田中角栄元首相の逮捕を受けて76年に「金権打破」を訴えて若手議員らと離党して新自由クラブを結成し、新党ブームを起こす。83年に自民党と連立政権を組み、85年の中曽根内閣の科学技術庁長官として初入閣した。そして86年の衆参同日選での敗北を受けて解党して自民党に復党している。 92年には宮沢内閣の官房長官として就任し、93年8月内閣総辞職直前に慰安婦問題の「河野談話」が出された。 ▶続きを読む(コメント欄へ)
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【W杯】敵主将ファン・ダイクに「強豪」と言わしめた森保一監督の凄み、“オランダ戦ドロー”のとてつもない価値《臼北 信行》 この一戦の価値を際立たせたのは、試合内容だけではなかった。むしろ、試合に入る前から日本はあまりにも多くのものを失っていた。 MF南野拓実(ASモナコ)とMF三笘薫(ブライトン)は負傷の影響で大会メンバーから外れた。長年にわたって日本代表の心臓部を担ってきたMF遠藤航(リバプール)も、初戦直前に負傷で離脱。キャプテン格であり、ピッチ上の基準点でもあった男を欠いた状態で、日本は欧州屈指の総合力を誇るオランダに立ち向かわなければならなかった。 不運は試合中にも襲ってきた。攻撃の核として期待されていたMF久保建英(レアル・ソシエダ)が後半途中、左膝付近を痛めて自ら交代を要求。治療を試みたもののプレー続行は難しく、足を引きずるようにしてベンチへ下がった。 森保一監督は試合後、久保の状態について「まだ詳細は分からない」とした上で「自分で歩いていたので、できれば軽傷であることを願っています」と説明した。まさに満身創痍。敗戦の言い訳なら、いくらでも並べられる状況だった。 だが森保ジャパンは、それを言い訳にしなかった。遠藤を欠き、南野も三笘もいない。久保まで途中で失った。普通ならば、チームの背骨が折れても不思議ではない。 しかし日本は後退しながらも耐え、受け身になりながらも狙いを捨てず、最後のセットプレーで同点に追いついた。この粘りこそ、森保監督が7年かけて日本代表に植え付けてきたものだった。 象徴的だったのは、試合後のファン・ダイクの言葉だった。世界最高峰の守備者としてリバプールとオランダ代表を支え続けてきたスーパースターは、2失点への悔しさをにじませながらも「日本のような強豪チームと対戦したのだから仕方ない」と語った。 ▶続きを読む(コメント欄へ)
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