「日本人がもっとも嫌うのは、自分の所属する組織内で、責任の所在が明らかにされることだ。
責任が.多少とも自分におよびそうなときには特に、責任の回避策に全力が注がれる。 組織や集団の成員でありたいと願ってそうあり続けることが、日本人の集団主義と呼ばれる場合が しばしばある。
問題の本質を直視している言葉ではないから、集団主義という言いかたには なんの意味もない。正しくは、日本人の責任回避主義、と呼ばなくてはいけない。
日本語で生きる我々に関する結論のひとつは、我々は責任が明確にならない社会システムのなかに生きている、という事実だ。
あらゆることが会社単位でしかおこなわれない日本は、いったん なにかあれば信じられないほどに脆弱な国だと、
さきほど僕は書いた。
勢いでそう書いたのではないし、そんなふうに書くのが僕の好みでもない。直視するのをもはやどう回避することも不可能な、あらわすぎるほどにあらわな現実だ。」片岡義男『日本語で生きるとは』1999
→所属を離れると、今度は好き勝手に言うようになる。だから、ルールを守れ!がある。好き勝手に「やる」のを防ぐ、相互監視/相互規制を徹底的にやる。当然、外国人にも厳しくやる。この生きにくさを作ってしまうシステムも、魅力はある。徹底的な無責任さを極めればいい。
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